『同調圧力の正体』50代のリスキリング

読 書

おそらくどの組織でも否応なく、少しずつ取り入れているであろう『多様性の尊重』
しかしそれは一方の言い方。本当は同調圧力をかけずに組織の目的や目標を達するため。
『目的と目標』
何かそんな言葉を浮かべながら読んだ。
個人の人生の目的は個人の自由。そのために組織の目標を達成しながら自分の目的に一歩一歩近づいていく。その過程で自分の帰属する居場所が増えていく。または変わっていく。
それでいいのではないか?
日々組織の中で奮闘しているけれど、どこかで自分らしさを押さえつけている、そんな人におすすめの本だ。

日本の終身雇用と転職否定の意識はすでに崩壊しているが、まだまだ受け入れられてない感も否めない
匠はアーティストと同じ。それとビジネスマンは違うのに。


『何のために』
それを忘れずに持ち続ける事だ。
なんだか重い鎧を脱いだ。。
そんな気がした。

私は組織学者を名乗っているが、もともと組織が好きなわけではない。組織が好きでないからこそ組織に興味を持ち、組織の研究を始めた。そして、組織が苦手な人でも受け入れられ、自由に能力や個性を発揮できるような組織や社会をつくるにはどうすればよいかをいまも研究し続けている。

私も組織が苦手だ。染まってしまうというか、思ってもいないことを言ってしまって後悔するなんてこともままあるからだ。
本当の自分が出せる、合う人も合わない人もいるのが当然。違う意見があっても当たり前。
そんな社会になればいいのに。本当にそう思う。

組後の内部では、共同体の維持とメンバーの利益追求に足並みそろえて行動するよう、同調圧力が生まれる。経営学者の岩田龍子は日本企業を圧力釜にたとえたが、そのたとえとおり出口をふさがれているので内部の圧力は強くなる。それは企業にかぎらない。たとえばpTAにしても町内会にしても、半強制的に加入させられ役員も選挙かくじ引き、あるいは輪番で有無をいわせず割り当てられる。離脱の自由がないので組織の「内圧」が高まり、息苦しくさせるのである。

『息苦しい』言いえている。
『息苦しい』のだ。訳もわからず。誰かのせいというのでもなく、でも誰かの言った事や態度でさらに息苦しくもなる。その誰かに自分もなったりする。そしてまた息苦しくなるのだ。

社内でいくら加点主義を取り入れ、「出る杭」を伸ばそうとしても社内で得られるものには限界があるのも事実だ。したがって画期的なイノベーションやブレークスルーを引き出そうとすれば、社員を組織の中に留めようとするのではなく、社員の独立や起業も視野に入れて制度や慣行を見直す必要がある。
一九九〇年代に日本経済が凋落していくのを尻目に、アメリカ経済は逆にV字回復を遂げたが、その原動力となったのが、既存企業をスピンアウトしてシリコンバレーなどで夢を実現した起業家たちだったことを忘れてはならない

『夢を実現した企業家たち』を生み出しうる社会を作りたい。
これからの人たちが、日本という概念から飛び出して、もしくは叩き割っていけるよう、心から応援したい。

絶対的な「正義」と目されていても、視点を変えると別の側面がみえたり「正義」どうしがぶつかり合ったりすることがある。それによって絶対的な正義だと信じられていたものが実はそうではないとか、正義を実現する方法が一つではないことに気づく場合がある。そうした過程を経て「正義」の内容が深められ、洗練されていく。逆に「正義」への異論や反論を抑圧することは、「不正義」の顕在化を招きかねない。

『正義』は人の数だけ存在する。
それがぶつかり合うといつまで行っても平行線だ。
ただしもしかすると深められ洗礼されても行くのかもしれない。これこそが『多様性の尊重』だが、日本人はこれが苦手のような気がする。

―見解決したようでも不満は水面下でくすぶり続け、いつか屈折した形であらわれる恐れがある。少数意見や異論を受け入れるようになることが、成熟した社会へ移行するための課題だろう。
仕事にしても勉強やスポーツにしても、自分の意志で自発的に行うのと、周囲に同調して行うのとはまったく違う。当然ながら同調圧力のもとでは受け身、消極的になる。実際に日本人の組織に対する関わり方や、働き方がきわめて受け身であることを物語るデータはたくさん存在する。

第三者の目で客観的にみたら、耐えられないほど強い圧力を受けているわけでないのに、追い詰められた心理状態になる場合がある。また外の世界に希望や関心を持ちにくいとき、共同体内部の些事にこだわりやすい。共同体の中がすべてであるかのような錯覚に陥るのである。それを裏返せば、ふだんから共同体の外の広い世界を俯瞰し、時間的にも人生全体を射程に入れて考え、行動すると共同体内の圧力をそれほど感じなくてもすむはずだ。抽象的に表現すれば、準拠集団を共同体の外に持つわけである。
大事なのは日本社会の深層に横たわる共同体主義の存在に気づくことだ。そこにメスを入れないかぎり、いくら表層で社会が進化したようにみえても同調圧力は次々と形を変えながら受け継がれていくに違いない。

社会や組織の体質はすぐに変わるものではない。
その共同体の外には広い世界がある。一つの組織になじめなくとも、別の共同体もある。
自分が様々な共同体に存在する中で自分自身の「正義」も深まり洗礼されていくのではないだろうか。

こういうこともすごく繊細にこだわる人もいれば、まったく気にしない人もいる。
気になってしまう私はいくつかの共同体の中で自分らしさを確立しているのかもしれない。

それはそれで楽しい。私らしくて。。それでもいいんだと思える本だ。


コメント

タイトルとURLをコピーしました